水子の供養について

水子は祟りません。正しい供養をしましょう。

水子供養とは、残念ながら人間としてこの世に生を承けることのできなかった御霊へ詫びると共に、「今度こそ人間としてちゃんと生まれて来れるように」と励ますものです。
人間に生まれることは奇跡的難事であり、水子はそのための試練を経験した存在です。
決して祟りはしません。
凶事を水子霊のせいにするのは御霊への冒涜です。
怖れから水子供養を行うのはまちがいです。

しかし、私たちは、何か凶事があると「もしかして、水子霊に関係があるのではないか」
と不安になることがあります。
それは、良心がはたらき、「後ろめたさ」というとても大切な〈省みる心〉が動いているのです。
せっかく良心がはたらいているのに、水子に関する真実を知らないと、それにつけこむ者たちに「祟りだ」などと脅され、不安が増幅してしまう場合もあります。

正しく学び、正しい供養を行い、八正道を歩むきっかけにしていただいたいと願っています。
誕生の縁になってやれなかったことを詫び、「今度はきっと生まれてくるように」と祈りましょう。
以下、水子供養の真実について記します。

水子供養のすべて

1 水子とは

水子について考えることは、人間の誕生について考えることです。
私たちは、どのようにして生まれて来るのか?
ここが出発点です。
この世で善悪さまざまな業を積んだ魂は、業となった「因」に対する「果」を現実のものにするため、転生の機会を待っています。
やがて、運命や性格などの「魂の色合」に共通するところを持った男女のペアを見つけると、そこに宿ろうとします。
大切なポイントは、子供が親を選ぶことであり、肉体より魂の引力が先にはたらくという点です。
ここを勘違いすると、子供が親へ「勝手に生んだ」などと暴言を吐いたり、親が子供へ「望みもしないのにできてしまった」などと妄言を口走ったりします。
さて、選んだ男女のところで無事肉体的結合も進み、順調に生まれればめでたしめでたしですが、そううまく行くものではありません。
「受け難い人身」という経文があるとおり、人間としてこの世へ生まれ出ることはとてつもない難事とされています。だから、当然、無事誕生に至るどこかの時点で失敗するケースが生じ、水子にもなります。
水子は、自分が選んで挑戦した高いバーをクリアできなかったジャンパーのようなものです。
一度や二度失敗しても、だんだんに力をつければ、やがてはクリアする日が来ることでしょう。それが、最も徳の高い生きものである人間の誕生です。

2 水子への姿勢

だから、もし水子ができてしまったなら、「次の機会にはちゃんと生まれて来れるように」と祈り、励ます気持が大切です。男女のどちらかに直接的原因があった場合は、「ごめんね」と謝ることも忘れてはなりません。
最もいけないのは、怖れることです。
世間には「水子の祟り」と称して男女を脅す人もいるようですが、これは道理にはずれた議論です。
なぜなら、水子の魂と現世の人間の魂との間には、「祟り、祟られる」といった関係の生じる接点がないからです。
その理は、魂のはたらきである意識のありようを考えればすぐに解ることです。

3 水子決してが祟らない理由

目に見える世界と直接、接するのは、見たり聞いたりしたりすることによって動く眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の前五識です。
それらは、「私」という第六識と共にあります。
ここまでの六つの意識は、それとはっきり分かるものですが、こられのはたらき方は、この世で生きた歴史が積っている第七識によって方向づけられています。
第七識は潜在したものなので、通常は、中身を知ることができません。
いわば潜在意識です。
たとえば、潜在意識へ車に関する情報がたくさん入ってい人は車に強い関心を持ち、読んだ小説の感動がたくさん入っている人は言葉や心に強い関心を持ち、殺人ゲームでワクワクした記憶がたくさん入っている人は殺人に強い関心を持ち、それらの「関心」が運命の舵取りをします。
「関心」によって、前五識と第六識が森羅万象の中からつかまえる対象を選び出し、運命が創られるからです。
もしも殺人に強い関心を持った人が「非人間的な行動は許せぬ」と正義感を発揮する刑事になれば結構なことですが、ふとした争いで簡単に人を殺めてしまうかも知れません。
前者よりも後者の可能性の方がはるかに高いので、恐ろしさに気づいた人たちはこうしたゲームの恐ろしさを指摘しています。

ともあれ、第七識こそが運命を創る主役であり、「自分の運命は自分で創る」のです。
その奥には、生まれ持った過去の因縁のすべてが伝えられている第八識があり、さらに奥には、み仏の心を宿した第九識があり、それらは広大な海のような無限のみ仏の世界、第十識の表れです。
そうすると、水子の持っているものは、どれになるでしょうか。
第十識と、第九識と、第八識だけです。
第七識は、まだこの世に生まれ出ていないので空っぽだし、もちろん、第六識も、五識もありません。
最近、胎児が詳しく研究されるようになり、母胎を環境として活発な生命活動をしている様子が明らかになりつつありますが、母子間で双方向のやりとりはできませんから、水子の日々は第八識へしまい込まれるだけです。
母胎という井戸の中にいただけで外界を知らない水子が、この世の人に祟るはずがないのは明らかです。
ましてや、尊い魂だけの存在が、この世へ生まれ出るチャンスを与えてくれた男女へ凶事を与えることがあり得ましょうか。
私たちは、「水子の祟り」という妄想や、何代か遡れば誰にでもありそうな水子を悪者にして「先祖のつくった水子の祟りや呪い」を言う輩の脅しからそろそろ脱しても良いころです。

4 水子供養の意義

以上が真理であるにもかかわらず、人は水子ができると、悲しむのはもちろん、あるいは怖れ、あるいは不安になります。
「怖れる」のは見当違いであり、水子への失礼に当たり、良からぬできごとを水子のせいにするのが理のない言いがかりであることは上記の理由ではっきりしていますが、不安はどうすれば良いのでしょうか。
不安は「生んでやれなかった」「親の都合で流してしまった」という罪悪感から生じています。
この気持には素直でなければなりません。
そして、「ごめんね、今度はしっかり生まれてきてね」と謝り励ます祈り、それこそが水子供養の本旨です。
こうした心からの供養は水子となった魂へ通じ、きっと大きな力になることでしょう。
そして、やがてこの世に一人の人間が誕生したなら、何とすばらしいことでしょうか!
水子供養は、「受け難き人身」を創るための尊い祈りなのです。

5 蛇足

もしも、水子ができてから凶事が続いたならば、それは、決して水子のせいではなく、いのちの尊さや供養への関心が薄いその人自身の生き方がもたらした結果です。
そうした人々といえども、良心はあります。第九識や第十識があるからです。
水子の生じたことが決して小さなできごとでないことに表面下の意識では気づいています。
表面では平気で知らんふりをしていても、心の底には不安が生じています。
良心の警告です。
そうしたものを放っておけば、知らぬ間に「柳を幽霊と見て恐れ」「縄をヘビと見て逃げ出し」「包丁で手を切れば『あのせいだ』と怖れ」ます。
こんな真実から離れた生き方をしていれば、不幸の種との巡り会いが多くなるのは当然です。第七識がそうしたものをキャッチするからです。
水子と凶事を直接結びつけるのは、理に暗い愚かさに他なりません。

6 結論

水子に関する真実を知ったならば、正しい心で正式な供養をしましょう。
たとえ昔の水子でも、今、供養することができます。
み仏と御霊のことごとは、常に「思い立ったが吉日」です。
人の生き死には、時を選ばないからです。
気づいた時に行なわねば、行なう時はありません。
誰の生であれ、確かなのは「たった今」だけではありませんか。

7 供養の方法

(1)成仏法の修法を申し込む。
親御さんの氏名と水子になった年月日(はっきりしない場合は、おおよそでも結構です)をお知らせください。
ご志納金は、1万円くらいを目安にご判断ください。
修法後、「供養の証」をお送りします。(ご不要の場合はそのようにお申し出ください)
(2)当山の子安地蔵様の足元へ小さなお地蔵様を建て永代供養する。
親御さんの氏名と水子になった年月日(はっきりしない場合は、おおよそでも結構です)をお知らせください。
修法後、「供養の証」と写真をお送りします。(ご不要の場合はそのようにお申し出ください)
ご志納金は、お地蔵様の魂入れの修法と合わせて3万円です。
(3)お納骨をして永代供養する
親御さんの氏名と水子になった年月日(はっきりしない場合は、おおよそでも結構です)をお知らせください。
ご志納金は2万円くらいを目安にご判断ください。
戒名をお求めになるかならないかは自由です。
戒名をお求めの場合、戒名料はご判断ください。

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