葬儀を行う寺院を選ぶことは、いかなる法で守られるかを決める重大事です。それなのに、実際に〈こと〉が起こってからよく調べもしないで縁を結ぶことが多いのはいかがなものでしょうか。
もちろん、病人を抱えたりするご家族の心情としては、死を前提とした行動がはばかられるのは当然です。また、突発的な事態に際して落ちついた判断がしにくいのもよく解ります。しかし、どのような法で送られ、どのような供養を受けられるかは、送られる人はもちろん、送り、守る方々にとっても、とても大事であることをよく考えねばなりません。
実際、〈事後〉のトラブルに悩み、困り果てて当山を訪ねて来られる方は後を絶たず、心を痛めています。
当山は、お送りするに際して固く決めている方針がいくつかあります。
一つには、当然ながら、送られる方の宗教宗派を問わず、法の力できちんとお送りすることです。み仏のご加護は平等であり、決して相手を選びません。
また一つには、葬儀にせよ戒名にせよ、布施の本義に忠実であるべく、一切、金額を決めて請求しないことです。法務は法の布施であり、ご志納金は財による布施であり、双方共に自発的で清浄でなければなりません。
そして、小さいことですが、送迎を受けないことです。ご遺族は人生に幾度も経験しない言わば極限の状況に陥っておられます。そうした時に、皆さんの僕となって働かねばならない僧侶が、寺院関係者誰もが運転できないといった万やむを得ない事情があるならともかく、ご遺族に人手を割かせ経費をかけさせるわけにはいきません。
お葬式は、魂だけの存在となった御霊が、本来の〈み仏そのもの〉になるための旅立です。
修法の大まかな流れは以下の通りです。

当山では、会葬される方々の人数やお布施の金額による「長いお経」や「短いお経」といった使い分けは一切行いません。
もちろん、さまざまな面で、ご遺族からのご希望には最大限お応えします。
寺院へ納められるものは、お金であれ、ものであれ、労力であれ、すべてがみ仏へいただくお布施です。三つのものが清らかでなければ、真のお布施ではありません。まず、〈納める方の心〉です。み仏を信じ、まごころから納めてくだされば良いのです。また、〈納められるもの〉です。後ろめたいなどの穢れをまとっていては尊いみ仏にふさわしくありません。そして、寺院へ納められたお布施にいのちを託す〈僧侶の心〉です。むやみと高い金額を決めて請求したり、お布施を用いて勝手な趣味や休息を超えた遊興にうつつを抜かしたりするなどということは許されません。
お布施は、行われる修法の価値がいかなるものであるかを理解・判断し、あとは個々の経済事情を考え、常識・良識・感謝に基づいてみ仏へ納められれば良いのです。
葬儀が必要になった際は、ご遠慮なくお電話下さい。日取り等、そのお電話でご相談下さい。
![]()
葬儀に対する住職の心構えや「あの世へ旅立つ」ということはどういうことなのかをブログでご紹介しています。タイトルをクリックすると、ブログの記事をご覧頂けます。